群馬県伊勢崎市で2024年5月、飲酒運転のトラックによって2歳の男の子ら3人が死亡した事故。「家族の無念を晴らしたい」。“厳罰”を求め続けてきた遺族たちの1年9か月に及ぶ闘いを追った。
【写真を見る】“厳罰”求め続けた遺族の闘い「2才7カ月のまま成長しません。被告人が奪ったから…」トラック飲酒運転で3人死亡「家族の無念晴らしたい」母親の思い 群馬・伊勢崎市
執筆者=谷脇惇志、金美京
「2021年9月28日16時31分、湊斗(みなと)は私達夫婦の元に産まれてきました」
1月20日の前橋地裁4号法廷。証言台で女性が話し始めると、満員に近い法廷はしんと、静まり返った。
「2024年5月6日20時21分、湊斗が亡くなった時間です。本当はもう少し早く息を引き取っていましたが、私はそれを認めたくなくて湊斗を抱っこして、お医者さんに渡す事ができませんでした」
女性のすすり泣く声が、法廷に響く。
鈴木吾郎被告(71)は被告人席で下を向き、女性の言葉を聞いていた。
2024年5月6日、トラックで飲酒運転をして対向車線を走る乗用車に衝突。車に乗っていた塚越湊斗ちゃん(当時2歳)と父親の寛人さん(同26歳)、祖父の正宏さん(同当時53歳)の3人を死亡させたなどとして、危険運転致死傷罪に問われた。
涙ながらに意見陳述したのは、事故で亡くなった湊斗ちゃんの母親だ。鈴木被告によく聞かせるように続けた。
「どこに行くにも湊斗がいない。あんなに楽しそうに笑っていたのに。やっとたくさん走れるようになったのに。これからの長い人生、楽しい事、つらい事、たくさんの経験をしていくはずだったのに。湊斗はもう何も出来ません。2才7カ月のまま成長しません。被告人が奪ったからです」
過失運転致死傷罪での起訴「何で・・・」“厳罰”求め署名活動
事故発生から裁判が開かれるまでの1年8か月間は遺族にとって、長い長い日々だった。
鈴木被告は事故から3か月後、危険運転致死傷の疑いで逮捕されたが、前橋地検は「過失運転致死傷罪」で起訴した。法定刑は7年以下の懲役刑(現在は拘禁刑)。母親たち遺族は当然、法定刑の上限が20年の「危険運転致死傷罪」で起訴されるものと考えていた。
「とにかく『何で』という気持ちが強かった。悪質すぎる飲酒運転なのに、なぜそれが危険運転にならないのか。それが過失になるのなら、何でもありな運転になってしまうのではないか」
納得できなかった母親たちは、行動を起こす。
鈴木被告の罪名を「危険運転致死傷罪」にするよう、前橋地検に要望書を提出したのだ。さらに、前橋駅で鈴木被告の厳罰を求める署名活動を行い、オンライン署名とあわせて8万3000人を超える署名を前橋地検に届けた。
「たくさんの方が署名してくださっていて、署名用紙の重みもすごくて、やっぱり私たちと同じようにたくさんの人が怒ってくれてるんだなっていうのが感じることができました」
事故から半年近くが経った2024年10月。前橋地検が出した危険運転致死傷の罪への訴因変更請求を、前橋地裁が認めた。母親は「長い闘いになったとしても、何もできなくなってしまった3人の無念を晴らしたい」と、裁判に向けた思いを語った。
祝い続ける誕生日、片付けられない衣服「自ら命絶つこと考えた」母親を支えたもの
2025年9月28日。この日は、湊斗ちゃんの誕生日。母親は湊斗ちゃんのために用意したケーキで、誕生日を祝った。生きていれば4歳となっていた。
「どんな4歳になったんだろうなっていうのを想像しながら、でも悲しい気持ちではお供えしたくなかったので、本当にそこに湊斗が居るような気持ちでお供えしました」
事故当日に湊斗ちゃんと寛人さんが脱ぎ捨てた衣服を、今もそのままにしている。
「最後に3人で過ごしてた時の服だと考えると、片付けられない。湊斗と離れるのがつらすぎて…」事故後、「自ら命を絶つことも考えた」という。それを思いとどまらせたのが、事故当時、お腹にいた第2子だった。
途方に暮れて泣いている時、お腹にいた子がお腹を強く蹴り飛ばしてくれたことがあった。母親はそれを「励ましてくれている」と感じたという。
「やっぱり赤ちゃんのことがあるので何とか耐えて耐えてっていう日々でした。生まれてきてくれた後は1人じゃなくてこの子がいるので、安心する。守るべき存在というか、私の生きがいになってる存在です」
もう一つ、支えとなった存在がある。同じように危険運転で家族を亡くした遺族たちだ。
家族3人を突然失い、これからどうなるのか、どう生きていかなければならないのか、裁判は…。不安な日々を送る中で、同じ境遇の遺族たちが大きな支えとなった。
「ご遺族の方とつながることができ、分からないことを聞けたり、アドバイスを頂いたりと他の被害者の体験談はとてもありがたかった」
遺族たちとの交流のなかで「楽しい」と思えることが増えたという。
「飲んでいません」裁判で飲酒を否定した被告
鈴木被告の裁判は、2026年1月14日に始まった。
「飲んでいません」
この日の初公判で、起訴内容について問われた鈴木吾郎被告は、事故を起こしたことは認めたものの、事故前の飲酒を否認。弁護側も、過失運転致死傷罪にとどまると主張し、検察側の主張と真っ向から対立した。
検察側は、事故前日を含む複数の日のドライブレコーダーの映像を証拠として法廷で再生。その映像には、車内で焼酎を飲んでいる様子が映っていた。鈴木被告は「過去に飲酒運転をしたか」と問われると、「飲んでいない」と否定し、事故当日の飲酒を重ねて否定した。
母親が「事故で3人がどれだけの恐怖と痛みを感じたのかを受け止めたい」と、事故に関するほとんどの資料に目を通した。その思いを、1月30日の意見陳述に込めた。
「毎日毎日、湊斗を探してしまう。毎日が生き地獄です。被告にはこの事故と向き合い、飲酒したことを後悔し、心から反省してほしい」
裁判の最後、鈴木被告は「大変申し訳ございませんでした」と謝罪。母親たち遺族に向かって土下座した。
判決に母親「被告は3人の命を奪ったことは覚え続けていてほしい」
迎えた2月13日の判決。前橋地裁は求刑通り、鈴木被告に法定上限の懲役20年を言い渡した。
判決は、鈴木被告が事故前に焼酎2本を飲み、「時速90キロから減速することなく、運転操作を実行することが困難な状態」だったとして、危険運転致死傷罪の成立を認めた。
遺族たちが求め続けてきた判決だった。
「私たちの思いが通じたと思った。湊斗たちには、ちゃんと思いが通じたと伝えたい」
「2年たった今でも、事故を受け止めることはできていないので、ずっと、この先もつらいままの気持ちは変わらず、紛らわせて生きていくんだと思う。被告は、3人の命を奪ったことは、覚え続けていてほしい」
そう話す母親の姿から、肩の荷が少しだけ下りたように感じた。
鈴木被告側は判決を不服として2月26日、東京高裁に控訴した。